【感想】映画『PERFECT DAYS』

東京23区のトイレ清掃を仕事にする男性、平山のある夏の物語。

禅の影響を強く受けているとされる作品だけに、ストイックさを感じる場面が多くあった。写真に対する姿勢や音楽をカセットテープできくところ、生活上のスタイルやモノにたいしてそうしたことが前面に出ていたと感じた。そんなにたくさんは要らないと言える面だ。

一方で、話の整合性がよく分からない部分も多く観られた。たとえば平山はフィルム写真を撮っている。気に入らない写真は破って捨てていたが、保存する写真は、おかきかおせんべいが入っていたような缶に入れていた。あの押し入れに入っていた量の缶は、どこから発生しているのか謎だ。平山がおせんべいを食べるシーンは一切無かった。

また、平山には持病などがないようだった。その点もPERFECT DAYSを可能にしている面が強いと思った。

収入も社会的地位も高いとは言えない立場であっても、朝、玄関を開けて空を無言で見上げる平山の表情に救われる。映画のラストシーンで、ニーナ・シモンの”feeling good”が流れると、主役が役所広司でなければならなかった理由が明らかになったようだった。

KOMOREBIというこの世に一瞬現れて二度と現れないような一瞬を、またその時に感じていた気持ちを写真に写し撮る平山の撮影スタイルは、平山の定型的な生活スタイルがあってこそ、その撮影スタイルが実現可能になると思われるが、定型さを固持するのではなく、人との間に水面に水滴が落ちて生まれる波紋のような非定型さを、不器用ながらも平山は受け入れつつ、日々の型を守っていた。モミジの苗を育てるように。

そして、この作品で特筆的なもう一つの面は、evilな人物が皆無であったこと。ヴィム・ヴェンダースが日本に対して抱く、ある種の理想世界として描いた映画なのだと感じた。この作品はevilさのない平山が呼び寄せた半径5メートルの世界を描いたと言えるかもしれない。

平山の過去の生い立ちに、相当つらい場面が水面下に大きく存在している様子はうかがい知れた場面もあった。それでも「今は今」と姪のニコに対して話す平山の言葉が、そんなにたくさんいらない、あるいは持てない、という言葉の意味で受け取れる。だからつらさがありつつも生きていけるのだろう。

ラストシーンの話に戻るが、けっして楽しい、愉快だけで人生を過ごすことは、多分全人類を見渡しても1人もいない。仏教で言うところの四苦八苦は、さまざまな人にあり、時にとらわれて動けなくなる。平山のラストシーンは、清濁併せ呑んで生きていく覚悟を決めた人生の年輪を凝縮したような表現だったと思う。

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